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おいしいみかんが育つ町♪鹿児島県出水市を紹介します⑦~山田 有栄~

☆本日の地元紹介~山田 有栄

 

本日もさっそく地元の事を紹介していきます。

といっても今回は少し趣向を変えて出水に関わりのある歴史上の人物を紹介していきます。

 

それでは今回は「出水兵児」と呼ばれる気風を造った武将

島津家家臣「山田 有栄(やまだ ありなが)」です。

 

ほとんどの人は知らないと思いますが地元にもこんな人がいたんだよっていうのを知って欲しくて紹介してみました。

 

1578年に山田有信の子として誕生。

1587年に有栄が10歳の頃、父親の有信が守る高城に豊臣秀長率いるの九州平定軍が包囲し300の兵で籠城し必死の抵抗をしていました。

豊臣軍の主力に島津家本隊が破れてもなお主君の義久への忠義を尽くすために勧告を拒否し続けたが義久の説得により子である山田 有栄を人質に送った。

有栄は文禄・慶長の役で朝鮮に出兵し武功をあげる。

1598年大隅国福山の地頭に任じられ、1599年の庄内の乱の際には、福山衆を率いて荒神山に関を構えて参陣した。

 

有栄の有名な話の一つが1600年の大戦「関ヶ原の戦い」です。

 

山田有栄の佩刀は純金製で鞘までも黄金で出来ている豪華なものであった為、家中では「見栄っ張り」と陰口を叩かれていたのだが、島津義弘の元に駆けつけて参加した関ヶ原の戦いにおいて「島津の退き口」と呼ばれる中央突破&退却に参加し、無事、東軍の囲みを突破したものの、敵に見つからぬ様に逃亡する際に味方が困窮する最中、自慢の黄金の鞘を売って路銀に替えて島津義弘一行は無事薩摩まで帰還できたと言われる。

この逸話により、「見栄っ張り」と陰口を叩く者はいなくなり、「有事のために普段から備えている立派な武人」と褒め讃えられるようになり、薩摩藩では、普段は貧しくとも有事の為の貯蓄をする事が流行ったと言われている。

 

1629年に薩摩国出水地頭に任じられる。同地で「出水兵児」と呼ばれる気風を造ったのはこの有栄だという。1636年には家久の家老職を仰せ付かり、島津家家臣団の教育や産業開発に努めた。島原の乱においては藩主名代として総大将になり軍勢1000を率いて参陣している。慶安3年(1650年)に家老職を辞任、万治2年1659年の時点で2020石を領した。

 

1668年に病死、享年91。墓は現在も出水市の薩州島津家の墓地にある。

 

 

 

 

どうでしたか?地元にもこんなすごい人がいるんですよ

私が知ったのは某有名な歴史ゲームからなんですが(笑)列伝を見た時に「えっ出水??本当に」っていう事を思いました。

それからは興味をもって図書館等で色々と調べましたが本当に文武両道で優秀な方みたいですよ。

前線基地である出水を任せられるのもその証拠ですね。

 

違う時代でも有名な人がいたのでいつか紹介してみようと思います。

 

 

 

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